横浜地方裁判所 平成9年(ワ)2298号 判決 1998年6月22日
原告
蘆尾秀之
右訴訟代理人弁護士
大塚達生
被告
曽根忠幸
右訴訟代理人弁護士
柏木秀夫
同
松吉威夫
同
鈴木邦人
主文
一 被告は原告に対し、金三六万八〇九五円及びこれに対する平成八年六月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その三を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金六三万三四二三円及びこれに対する平成八年六月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 この判決は仮に執行することができる。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告と被告とは、平成八年六月一六日に静岡県田方郡修善寺町の日本サイクルスポーツセンターで開催されたジャパンスーパーデュアスロン(以下「本件競技会」という。)のショート部門(以下「本件競技」という。)の参加者である。
2 デュアスロンという競技は、道具を使用しない走り(「ラン」と呼ばれる。)と競技用自転車を使用した走行(「バイク」と呼ばれる。)とを組み合わせた競技で、本件競技(ショート部門)は、最初に三キロメートルのラン(「第一ラン」と呼ばれる。)、次に一五キロメートルのバイクを行い、最後にまた三キロメートルのラン(「第二ラン」と呼ばれる。)を行う競技である。
3 本件競技会は、日本サイクルスポーツセンターのサーキットにおいて開催され、そのうち本件競技は、午前九時三〇分から行われたが、第一ラン、第二ランはいずれも1.5キロメートルのコースを往復する方法で、バイクは別紙図面記載のとおりの一周五キロメートルのコースを三周する方法でそれぞれ行われた。
4 本件競技では、主催者により競技ルールが定められており、競技参加者はそれを遵守することとされていた。バイクの走行に関しては次のルールがあった。
(一) 原則的にバイクは左側を走行し、追い越しをする場合は右側から行い、追い越しをする場合には「右追い越します」というように、必ず声を掛ける。
(二) ドラフティング行為(前車の直後を走行して風圧を避ける行為)は禁止され、後車の競技者は、前車の左右各1.5メートル、後方七メートルの範囲内(「ドラフティングゾーン」と呼ばれる。)に入って走行してはならない。但し、追い越す場合には後車の競技者が一時的に前車のドラフティングゾーンに入って走行することができるが、一五秒以内に追い越さなければならず、追い越しができないときは速やかにドラフティングゾーンから離脱しなければならない。
5 原告は、バイクの二周目の走行で、別紙図面中の拡大図部分の急な下り坂となっている右カーブ(以下「本件カーブ」という。)を、時速約六〇キロメートルで、ルールどおりに左側に寄って走行し、原告の左側には走行スペースは空いていなかった。ところが、被告は、無理に左側から原告を追い越そうとして、原告に追突した(以下「本件事故」という。)。本件事故により、原告は自転車ごと右側にはね飛ばされて、路面に叩きつけられ、左大腿部打撲、皮下出血の傷害を負った。
6 被告には次の過失が存する。
(一) 被告は、原告を追い越そうとしたのであるから、前記4(一)のルールを遵守し、走行すべきであるのに、これを遵守することなく、追い越すためのスペースがないのに無理に左側から追い越そうとし、かつ、追い越す旨の声を掛けずに追い越そうとした過失が存する。
(二) また、被告は、前記4(二)のルールに違反し、ドラフティングゾーンから離脱せず、ドラフティングゾーンに留まって走行した過失が存する。
(三) デュアスロンのバイクでは高速で走行するために、前方を走行する競技者は後方の競技者の位置を確認することができないから、前車に接近する後車の競技者は、前車を注視し、前車に接触しないように、速度を調節するとともに進路を選択して走行すべき注意義務が存する。
しかるに、被告は、前方を走行する原告を注視することなく、原告に接触しないような速度の調節及び進路の選択を行わなかった過失が存する。
7 原告は、本件事故により、次のとおり合計六三万三四二三円の損害を被った。
(一) 治療費等 合計五五三五円
原告は、平成八年六月一六日、同月一九日、七月三日の三回治療を受けたが、事故当日の平成八年六月一六日分の治療費は主催者が負担したので、その余の二日の治療費合計五九〇円、薬代合計一三四〇円及び診断書作成料三六〇五円の合計は右の額となる。
(二) 休業損害
合計一一万二五六〇円
原告は、株式会社日本テクシードに勤務し、賃金は時給単位で支払われ、時給は一八九〇円、勤務時間は一日八時間であり(したがって、一日分は一万五一二〇円)、本件事故当時は日野自動車株式会社に派遣されていたが、平成八年六月一七日から同年七月一日までの間、休日であった同月二二日、二三日、二九日、三〇日を除いた、合計一三日間を休業せざるを得なかった。その間の休業損害は、合計一九万六五六〇円となるが、健康保険から支給された傷病手当金合計八万四〇〇〇円を控除すると、一一万二五六〇円となる。
(三) 慰謝料 一五万円
(四) 自転車破損による損害
二六万五三二八円
原告が使用していたデュアスロン専用の競技用自転車は、本件競技に備えて新車同様の状態に整備されたものであるが、本件事故により全損となった。これによる原告の損害は、再度新車を組立てるのに要する金額であり、その額は右金額となる。
(五) 弁護士費用 一〇万円
本件訴訟の追行のために弁護士を依頼した。本件不法行為と相当因果関係のある弁護士費用としては少なくとも金一〇万円をもって相当である。
8 よって、原告は被告に対し、民法七〇九条に基づき、本件事故により原告が被った損害金六三万三四二三円及びこれに対する不法行為の日である平成八年六月一六日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし4は認める。
2 同5の事実中、被告は、バイクの二周目の走行で、本件カーブに差し掛かった際、その前方を原告が左側に寄って走行していたこと、そのため原告の左側から追い越すことができない状況であったこと、被告車が原告に接触し、原告が転倒したことは認め、原告の受傷については不知、その余の事実は否認する。被告は、アウトコースである原告の左側から追い越すつもりであったが、原告が左側に寄ったままであったため、右側から追い越すしかないと判断し、コースを変更しようとしたところ、原告が減速したために被告車が原告に接触をしてしまったのであり、無理に左側から追い越そうとしたものではない。また、原告は、接触後、バランスを崩しながら走行し、本件カーブ出口付近のコース内側に転倒したのである。
3(一) 同6(一)の事実中、原告が主張するルールが存することは認めるが、その余は争う。被告は自己が背後にいることを知らせるために原告に声をかけている。また、被告はルールを無視して無理に左側から追い越そうとしたのではなく、当初左側から追い越そうとしたのは、現場が右カーブであり、イン(右側)を通る方が距離が短く原告も当然そのような走行をするであろうと予想され、左側が空く可能性が高いと判断したのである。しかし、原告が左側に寄ったままであったので右側から追い越そうとしたに過ぎない。
(二) 同(二)は争う。被告は、原告の後方に入ったわけではなく、左側から追い越そうとしたが通行できなかったために右側から追い越すため、右側に寄ろうとしたものであって、一連の追い越し動作であって、いわゆるドラフティング行為には該当しない。一五秒以内に追い越しを完了するとのルールも、追い越しを仮装したドラフティングを禁止する趣旨である。
(三) 同(三)のうち、一般的に前方を注視すべき義務があることは認めるが、その余は争う。
(四) スポーツはある程度の危険を伴うのが通常であり、殊に本件競技のうちバイクは、速度を競う自転車競技であって、しかも、競技者は任意に参加しているのであるから、その危険性を自覚しているものというべきである。そして、スポーツが許容された行動範囲で行われる限り、スポーツの特殊性から離れて過失の有無を判断すべきではなく、本件の場合、被告は、原告を左側から追い越そうとしたが、通行できなかったので、右側から追い越そうとした際に偶然原告と接触してしまったのであり、一般競技内における最良の進路を確保するための走行方法をしていたに過ぎないから、被告にはスポーツによる不法行為を構成するような過失は存しない。
4 同7は争う。
三 抗弁
スポーツ競技中に生じた加害行為については、それがそのスポーツのルールに著しく反することなく、かつ通常予測され許容される動作に起因するものであるときは、そのスポーツに参加したもの全員がその危険をあらかじめ受忍し加害行為を承諾しているものと解するのが相当であり、このような場合加害行為は違法性を阻却するというべきである。そして、被告の行為は前記のとおりであり、それは本件競技のルールに著しく反するものではなく、かつ、通常予測され許容される動作に起因するものである。
したがって、被告は本件事故について損害賠償責任を負うものではない。
四 抗弁に対する認否
再抗弁事実は否認し、その主張は争う。被告の行為は、前記のとおりルール違反の行為であり、それが通常予測され許容される動作であるということはできない。被告の主張は、一般市民に開かれた競技会において、参加した市民の安全が守られるためにルールが存在していることを全く無視した主張である。
第三 証拠
記録中の証拠目録記載のとおり。
理由
一 請求原因事実1ないし4の各事実は当事者間に争いがない。
二 本件事故の発生等について
1 争いのない事実に甲第一号証、第四号証、第一七号証の一ないし七、第二〇号証(原告の陳述書)、乙第一号証(被告の陳述書)、原告及び被告の各供述(以下、原告の供述と原告の陳述書を一括して「原告の供述等」といい、被告の供述と被告の陳述書を一括して「被告の供述等」という。)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告と被告は、バイク二周目の走行中に、原告は時速約六〇キロメートルで、被告はそれを上廻る速度でコース左側を走行して本件カーブに差し掛かったが、被告は、原告の約六メートル後方を走行し、原告を左側から追い越そうと考えたが、原告の左側には追い越すことができるほどのコースの空きがなかったために、右側から追い越そうと考え、後方の状況を確認して前を向くと、被告車に約二メートルの距離に近接していたために右から追い越すための動作に入る間もなく、原告の自転車後部左側に自車全部を衝突させてしまい、被告はその場に転倒した。原告は、衝突されたことで自転車操縦の自由を失い、本件カーブ出口付近まで進行した後転倒した。
(二) 原告は、右転倒により左大腿部打撲、皮下出血の傷害を負った。
3(一) ところで、被告は自車の速度は約六〇キロメートルであると供述するが、被告は、原告が本件カーブを最短距離で進行することを想定した上で、その左側から(本件カーブの外側部分を走行して)追い越そうと考えたというのであるから(このような走行を前提にするとカーブの出口付近でコースが重なることも考えられる。)、その速度は原告の後方についた時点で原告の速度時速約六〇キロメートルを相当程度上廻っていたものと推定するのが相当である。
(二) なお、被告の供述等には、原告を追い越そうとした際には、原告に「右行きます。」との声を掛けたとの部分が存するが、被告の供述等によれば、左側から追い越そうとしたができないので、右側から追い越そうと考え、後方の状況を確認して前方を向いたときには既に原告車と二メートル程度に接近しており、間もなく接触してしまったというのであるから、右側から追い越すための声を原告に掛ける状況にあったものとは考え難いこと及び原告の供述等に照らして直ちに採用しがたい。
三 被告の過失について
1 本件競技会におけるルールとしては、走行及び追い越しの方法については、原則的にバイクは左側を走行し、追い越しをする場合は右側から行い、追い越しをする場合には「右追い越します」というように、必ず声を掛けると定められているところ、甲第一号証によれば、本件競技には、中学生から六五歳以上の者も参加資格を有し、原告の供述によれば、それらの参加者は、男女、年齢や技術の差などによる区別はなく、全員が一緒に競技するものであることが認められる。このような本件競技の競技方法及びバイクでは時速六〇キロメートルあるいはそれ以上の高速で競技することからすると、他の競技者と接触し、場合によっては重大な結果を生じかねない、追従、追い越しなど他の競技者と接近して走行する場合には、後方を走行する競技者は、前方を走行する競技者の動向を注視し、かつ、右のルールを遵守するなど適切な措置を講じて衝突を未然に防止すべき注意義務が存するというべきである。このように解することは、バイク走行及び追い越しに関する右のルールには、「危険走行とみなされた場合、失格となることがあります。」と付記され(甲第一号証)、安全走行が重視されていることからも相当というべきである。
2 これを本件についてみるに、先に判示したとおり、被告は、原告の速度を相当程度上廻る速度で走行し、原告を左側から追い越そうとその約六メートル後方にまで接近したが、それができないため、右側から追い越しをするために、後方の安全を確認した後、前方に視線を戻したときには既に約二メートルまで接近し、間もなく原告に衝突をしているのである。この事実に照らすとき、被告は、左側からの追い越しをするべく原告の後方で追従を始め、遅くとも約六メートルに接近した時点において原告車と被告車の速度の違いを的確に把握し、かつ、原告車の動向を注視して、追突を避けるための速度調節ないし進路の変更をする等の措置を講ずべき注意義務があったというべきである。そして被告にはこれを怠り、前記認定のとおり何らの措置を講ずることなく進行した過失があると認めるのが相当である。
なお、被告の供述等には、原告に約二メートルまで接近したときに原告がブレーキをかけたことが衝突の原因であるとする部分が存するが、原告がブレーキをかけたことを的確に裏付けるに足りる証拠はなく、右供述等は直ちに採用し難い上、仮に原告が被告の主張するとおりブレーキをかけたとしても、本件カーブの状況下においてそのような操縦を非難することはできず、むしろ、そのような速度の変化に対応できない状況に立ち至らせた被告の操縦方法が相当性を欠いていたというべきである。
3 ところで、被告は、本件事故は、被告が左側からの追い越しを断念して、右側からの追い越しをしようと、後方の安全を確認した後に追い越しを開始しようとした矢先に発生したものであり、そこでの被告の行為は、本件競技のルールに著しく反するものではなく、かつ、通常予測され許容される動作に起因するものであるから、スポーツ競技の参加者の推定的承諾により違法性は阻却されると主張する。
しかしながら、先に判示したとおり、本件競技は、性別、年齢、技術の程度による区別なく同時に競技するもので、かつ、高速のバイク走行の競技を行うことによる危険性を有するものであり、ルール上も危険走行は失格となることがあるとされていることからすると、本件競技のバイク競技においてはその走行中の安全を図ることが重視されているものと解するのが相当である。そして、前示の被告の走行の態様は、スポーツにおいて通常予測された許容される動作に当たるものとは解されず、かつ、前示の被告の過失の程度は、必ずしも軽微なルール違反ということはできないから、その主張は採用できない。
したがって、被告の抗弁は理由がない。
4 以上のとおりであるから、被告は、本件事故により原告が被った損害を賠償すべき義務があるというべきである。
四 損害について
1 治療費等 五五三五円
甲第三ないし六号証、原告の供述等並びに弁論の全趣旨によれば、治療費等は五五三五円と認められる。
2 休業損害 一一万二五六〇円
甲第七ないし九号証及び原告の供述等によれば、原告は本件事故による傷害で平成八年六月一七日から同年七月三日までの間、休日を除いた一三日間休業したこと及び原告の一日当たりの所得は一万五一二〇円であることが認められ、それによれば休業損害の額は一九万六五六〇円となるが、健康保険から傷病手当金として合計八万四〇〇〇円が支給され、それを右額から控除することは原告において自認しているところであるから、休業損害の額は一一万二五六〇円となる。
3 慰謝料 一〇万円
弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故により負傷し、延べ三日間通院したことが認められ、また、それにより相当程度の身体的、精神的苦痛を被ったことが認められるが、他方、原告の負傷の程度は幸い重大なものではなく比較的軽微であったこと、本件事故が任意参加のスポーツ競技中に発生したものであることなどを総合勘案すれば、原告の右苦痛を慰謝するには慰謝料額は一〇万円と認めるのが相当である。
4 自転車破損による損害
一〇万円
原告は、本件事故時に原告が使用していた競技用自転車は破損して全く使用できなくなったので、その再取得価格をもって損害であると主張し、甲第一二号証及び原告の供述によれば、右自転車が本件事故により全損し、それを再取得するには金二六万五三二八円を要することが推認することができる。しかし、全損の場合とはいえ、それにより原告が被った損害額は、当時の時価を超えるものではないと解するべきであるから、右原告の主張は採用できない。
そして右自転車の事故時の時価を認めるに足りる証拠は存しないが、原告の供述等によれば、右自転車は、部品には新品を補充するなどして整備をしていたが、そのフレーム部分は二年程度を経過したものであること、このような競技用自転車は中古車としての相場も存しないことが認められ、それらの諸事情を考慮すると、原告の自転車の破損による損害額は金一〇万円をもって相当であるというべきである。
5 弁護士費用 五万円
本件訴訟の遂行の程度等を総合勘案すれば、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は金五万円をもって相当と認める。
五 以上のとおり、原告の請求は金三六万八〇九五円及び不法行為の日である平成八年六月一六日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容するが、その余は理由がないから棄却する。
(裁判官吉原耕平)
別紙コース・会場図<省略>